安芸にて(中編)

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 岡山駅ではワタシ以外にも降りる人がけっこういました。ここから新幹線などに乗り換える人のほか、発売開始とほぼ同時に売り切れる「サンライズ出雲」のチケットを取れなかった人がここから在来線特急の「やくも」に乗り換えて山陰に向かうこともあるみたいです。サンライズ出雲は足が遅いので、終点の出雲市到着は30分後に出発する「やくも」でも10分程度しか変わらないんだとか。

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 瀬戸と出雲は岡山駅で切り離し。切り離し作業の見物客もけっこういますね。もっとも、昔と違って今は全自動ですからあまり見応えは無いのですがね・・・

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 サンライズ瀬戸が無事に発車したのを見届けてから新幹線ホームへ。ワタシはここから「みずほ」に乗り換えます。

山陽新幹線  みずほ601号
岡山
(06:51)→広島(07:26)

列車番号601A N700系電車(S5編成)

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 やってきたのは鹿児島中央行きの「みずほ」。自由席車両は前の3両なのですが、大混雑でした。ワタシは何とか3人掛けの通路側席に座れたのですが、すぐ後ろに並んでいた人は広島まで立ち席。通路もデッキも混雑してましたね~

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 岡山から30分ほどで広島駅に到着です。
 この時点でまだ午前7時半。東京から広島へ行く場合、始発のヒコーキでも9時前、始発の新幹線だと10時前の到着ですから、やっぱし寝台特急の威力は凄いです。ちゃんと横になって眠れたしシャワーも浴びられたおかげで、疲れもほとんど無いですしね。

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 広島を訪れるのも数年ぶり。いつの間にか工事が進んで、こんなキレイな通路ができてます。
 まずは、この通路にあったうどん屋さんで朝ご飯をいただき在来線ホームへと向かいます。

山陽本線,呉線 普通 広島(08:07)→広(09:13)
列車番号630M 105系電車(K6+?+?編成)

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 新幹線口は新しくなったけど、ホームに降りると昔ながらって感じもします。まだ工事も半ばのようで、メインとなる南口の方は工事の真っ最中でした。
 広島駅は山陽本線のほか呉線、可部線、芸備線と多くの路線が行き交っているのですが、非電化の芸備線は別として、その他の路線はホームが路線別に固定されていません。同じホームに可部線の可部行きが来たと思ったら次には山陽線の白市行きが来る、といった具合にまったくのランダム。なので、電光掲示板で次の呉線が何番線に来るかをシッカリ確認しなきゃなんです。

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 4番線で待つこと15分ほど。やって来たのは以前山口宇部空港へ向かう宇部線で乗った105系。オールロングシートの車両,しかも真っ黄っ黄の通称「末期色」(正式には「瀬戸内地区地域統一色」と言うらしい。長い・・・)です。
 まだ呉線にはクロスシートの113系や115系が残っていると思ったし,最新型227系との出会いもちょびっと期待していたのでがっくしです。105系ならせめて白地に青・赤帯の新広島色の方が嬉しかったのですが、今はほとんど残ってないみたいですね。

 呉線は海沿いを走る風光明媚な路線。広島駅を出発し山陽本線との分岐駅である海田市駅を過ぎると、車窓には瀬戸内海とその向こうに海軍兵学校で有名な江田島が見えてきます。

 今は本数も少なめな呉線ですが、古くは山陽本線のバイパス(通称「瀬野八」と呼ばれる山陽本線の急勾配区間を避けるため。)として東京行きの急行「安芸」や夜行急行「音戸」なども走った時代がありましたが(高校生以降は東京に住んでいたワタシの母も、帰省で「安芸」によく乗ったそうです。)、新幹線が開通すると長距離輸送はそちらへシフトし山陽本線ともども普通列車主体の地域輸送が主体となってしまいます。さらに寝台特急も山陽本線の電化や強力な電気機関車(EF66形など。)の登場により呉線への迂回は不要となりました。
 そんなわけで2~6両の短編成普通列車ばかりとなった呉線ですが、現在でも山陽本線が不通になると長距離貨物列車が迂回運転することはあるみたいです。

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 広島駅から1時間ほどで列車は終点の「広」駅に到着。
呉線の主要駅(臨時快速「瀬戸内マリンビュー号の停車駅)にはこのような観光用のイラスト付き駅名票がありますが、広駅の駅名票に描かれているイラストはこれから向かう下蒲刈島ゆかりの朝鮮通信使みたいですね。
 以前は毎時1本の定期快速列車が広島駅と三原駅,さらにはその先の糸崎駅までを直通運転していたのですが、今では朝夕を除いて快速,普通共にこの広駅で運転系統が分断されていて,この駅を跨ぐ場合は乗り換えを余儀なくされています。

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 呉から2駅のところにある広は呉市のベッドタウンといったところでしょうか。乗ってきた電車の乗客は大半がここで改札を出て行きました。

瀬戸内産交バス 広駅前(09:21)→三之瀬(09:44)

 駅前を走る国道185線沿いのバス停へ。ここからは「とびしま海道」を走る瀬戸内産交バスに乗車します。

 呉市内の中国労災病院前から広,仁方を経由して安芸灘諸島を結ぶこのバスは,本州と瀬戸内の島々との交通に特化した路線。それゆえ、始発から小仁方までの本州内区間は乗車専用で降車不可(もちろん呉行きは逆に降車専用)となっています。実際には間違って乗車して何とか降ろしてもらっているヒトもいましたが・・・
 そんな特殊な路線バスなのですが、それでも車内はけっこう乗客がいて驚きでした。1時間に1~2本(上蒲刈島止まりも含む。)と広駅以東の呉線より本数が多いのも納得です。

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 仁方駅前を過ぎると、バスは大きなカーブを経て下蒲刈島との間に架かる安芸灘大橋を通ります。橋の長さは約1.18kmで全国9位,広島県内では「しまなみ海道」の因島大橋(約1.28km)に次いで2番目に大きな橋だそう。まあクルマだとあっという間ですが。
 ここを起点に岡村島まで(現在。将来的には大崎上島まで延伸予定。)を橋で結ぶ「安芸灘とびしま海道」の中で唯一の有料区間で、通行料金は普通車で片道720円。高いか安いかは微妙ですが、バスなら広駅前からこの橋を渡り終えたところにある三之瀬まで¥430です。

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 とびしま海道最初の島である下蒲刈島の三之瀬に到着。バス停は次の上蒲刈島に架かる蒲刈大橋の真下にあります。

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 バス停近くにある看板。関東人の私は瀬戸内が多島海であるという実感が薄かったのですが、こうしてみると本当に島だらけなんですね。

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 さてさて、せっかく途中下車したのでちょいとお散歩してみましょうか。

 下蒲刈島の三之瀬は江戸時代の朝鮮通信使の宿場としても利用された古くからの海上交通の要衝。ちょうど豊臣秀吉の時代に瀬戸内の海上交通の整備が行われ、ここ三之瀬も当時広島藩主だった福島正則が鞆の浦と共に海駅を整備し本陣や番所も設けられたんだとか。しかし江戸時代後期(18世紀後半)になると航海技術が発達したことなどからもっと沖合いを通る航路が主流となり、風待ち潮待ちのための港も東にある大崎下島の御手洗がメインとなり三之瀬は衰退してしまったそうです。

 そんな三之瀬ですが、観光エリアはバス停の北側にこぢんまりとまとまってます。のんびり散歩するにはちょうど良い広さです。

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 三之瀬を代表する観光施設といえば、この蘭島閣美術館とその関連施設。ちょうど番所があったところに建てられた木造の美術館で郷土のゆかりの作家の作品を中心に展示しています。
 ちなみにこの蘭島閣美術館やその関連施設はどこもJAF割引が使えました♪

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 蘭島閣美術館の真上に建っているのが関連施設のひとつ「白雪楼」。早く言えば2階建ての茶室です。茶室だけに、御抹茶と御茶菓子が付いてきます。

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 建物それ自体も趣があるし、立派な座敷でゆっくりと抹茶をいただく一時もなかなかでしたが、見事だったのが白雪楼の2階から眺める景色です。江戸時代からの遺構は雁木(船着き場)くらいしか残っていないそうですが、周辺は「それらしい」景観を見事に作り出していて(←「残されていて」ではない。大半は最近建てられ、あるいはこの白雪楼のように移築されたものだから。)、往時を偲ぶには十分でした。

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 白雪楼からのんびりバス停方面へ戻る途中、土産物屋さんで見つけた「じゃこ天」。いわゆる揚げかまぼこですが、嬉しいのは注文を受けてから揚げてくれること☆熱々の出来たてに塩をふってはふはふ言いながらいただきます。美味しかった~♪
 ホントは冷たいビールも欲しいところでしたが、これから1時間以上のバス旅でトイレが近くなったら困るのでガマン。

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 じゃこ天をかじりながら、バス停でのんびり次のバスを待ちます。この日は快晴。海と空の青が本当に綺麗です。

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 待つこと数分で次のバスがやってきました♪

瀬戸内産交バス 三之瀬(10:59)→御手洗港(12:05)

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 ここからしばらくはバスの旅。
 バスはのんびりと「とびしま海道」を走ってゆきます。バスの車窓からは瀬戸内の海と島々をゆっくりと眺められて極楽気分。レンタカーじゃこんなにのんびり眺められませんからね。

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 うとうとしかけたら、唐突に車内が賑やかになってビックリ。何かと思ったら中学生の集団が乗ってきたのでした。そうか、今日は土曜日。中学校は普通に半日授業だったんですね。

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 生活路線でもあるこのバスは、島々の各集落を行きつ戻りつしながらのんびりと進んでいきます。大勢の中学生を乗せて、いよいよ最後の橋である豊浜大橋を渡って大崎下島に入ります。なお、このバス路線は「安芸灘とびしま海道」の終点であるこの大崎下島で終わりますが、ここから更に隣の平羅島、中ノ島を経て愛媛県今治市の岡村島まで橋が島をつないでおり(安芸灘オレンジライン)、最終的には大崎上島や竹原市、大三島とも橋で結ぶ構想もあるそうです。

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 御手洗に到着しました。今は広島県呉市となっていますが(ちなみに先に立ち寄った下蒲刈島からここ大崎下島にかけてはすべて呉市。広いなぁ~)、平成の大合併前は豊田郡豊町でした。
 先にも書いたとおり、ここ御手洗は沖乗り航路が主流となる江戸時代後期から急激に発展した海駅です。北前船が瀬戸内海の沖合から一気に鞆に向かう途中、最後の風・潮待ちができる港として開かれたのがこの御手洗とのこと。

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 北前船がらみとなれば、当時の繁栄ぶりも想像できようというもの。この高灯籠や太鼓橋を備える住吉神社は江戸時代の代表的な豪商である鴻池家(今も不動産業の会社として続いているほか、三菱UFJフィナンシャルグループの前身のひとつでもある。)が寄進したものなんだとか。

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 なぜか海に向いた鳥居。実は県道を挟んだ反対側には恵比寿神社があり、これはその神社の鳥居ということのようです。でも参道を出てすぐ「海」って・・・?

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 御手洗の街並みは海岸沿いにへばりつくように細長く、陸側はすぐに山となってます。その街並みを見下ろすような山には「歴史の見える丘公園」というのがありまして、マイカー組であればてっぺんまで一気にクルマで行くことができます。
 一方、バスで来たワタシはえっちらおっちら登るしかないわけでして・・・

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 展望台の手前には、地獄のような長い階段が。
 3日前までインフルエンザで寝込んでいたワタシにはとてつもないリハビリです~

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 ひいひい言いながら登り切ると、こんな展望台が。面白い作りですね。

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 展望台からの眺め。瀬戸を挟んだ反対側は岡村島。正面に見える橋は平羅島と中ノ島を結ぶ安芸灘オレンジラインの「中の瀬戸大橋」です。こうして見ると、ここが島々に囲まれて潮も風も静かになる天然の良港であることがよく分かりますね。

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 反対側の眺め。はるか遠く四国の大角鼻の向こう、かすかに「しまなみ海道」の来島海峡大橋が見えます。昔はこの海の向こうから北前船がやってきたんですねー。

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 千砂子波止から眺めた御手洗の街並み。この御手洗の町並みはその価値の高さから重要伝統的建造物群保存地区(広島県内では竹原の町並み保存地区とココだけ。)に指定されてるそうです。

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 それでは、こちらのニャンコに街並みを案内してもらいましょうか(笑)

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 路地の細さが古さを感じさせる御手洗の街並み。今でこそ静かなこの町も、最盛期には「中国第一の港」とまで言われるほどひっきりなしに船が寄港し花街まで生まれたんだとか。現代で言えば主要な鉄道駅や空港のような存在だったんですね。
 それゆえ、明治維新の際の「七卿落ち」の際には数名がここに宿泊したり(その建物が今も残ってます。)、ホントか嘘か、シーボルトや吉田松陰、坂本龍馬までもがここに立ち寄ったという話もあるようで。

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 御手洗が栄えたのは江戸後期から明治初期まで。それ以降は汽帆船が登場したため風や潮を待つ必要が無くなり、御手洗の存在意義が消滅してしまったそうでして・・・
 港としての存在意義がほぼ消滅(一応、竹原とココを結ぶ船便が一日一便あるので。)して以降は、「みかんの島」として現在に至っています。みかんのシーズンが終わりかけた時期でしたが、注文してから搾って供されるミカンジュースは絶品でした!土産に買った「レモン羊羹」も美味しかったなぁ~

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 古き街並みの中で異彩を放っているのがこの「乙女座」。昭和12年に建てられたいわゆる「昭和モダン建築」の劇場です。

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 入り口の料金箱に入館料100エンを払って中へ。
 客席が畳敷きというのが何とも時代を感じさせますね。それにしても、めくりに書かれてる「桜田麻音ステージショー」って・・・?

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 映画館としても利用されたらしく、壁には往年の名作映画の看板が。そして2階席もあるんですね。ここまで客があふれた時代もあったのでしょうか。

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 さてさて、あまり長居すると文字どおり「船に乗り遅れる」ので先を急ぎましょう。

 この大崎下島と本州との間の交通機関は、ここまで乗ってきた路線バスのほかに広島市とを結ぶ高速バス、そして竹原とを結ぶ高速船とがあります。高速船は前に書いたように御手洗発着も一日一便ありますが、そのほかは全て大長港からの発着なんですね。
 御手洗と大長とは歩いて25分くらいなのですが、これがなかなか良いお散歩コース。御手洗は風致地区なのでいかにも「観光地」って感じなのですが、大長への道はまさに「現在の島の日常」といった感じ。ところどころに選果場があって、仕事中のヒトがときおりミカンを口にしていたりして・・・のどかな島の日常そのものでした。

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 大崎上島行きのフェリーが発着する小長港には食堂などもあったのですが、高速船が発着する大長港には食堂は皆無。めっちゃ古めかしい事務所の建物があるだけです。御手洗からココまでの所要時間がいまいちつかめなかったため御手洗でお昼ご飯を食べ損ねたワタシはとっても後悔したのですが(あなご丼を食べたかったー!)、泣く泣く切符を買って船に乗りました。

しまなみ海運 大長港(14:02)→竹原港(14:46)

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 大崎下島と竹原を結ぶ航路は1日7便。使用される高速船「かがやき2号」は30人以上乗れる船なのですが、私が乗ったこの便の乗客はほかに2人ほど。う~ん、廃止されないと良いけど・・・心配です。

 大長港を出発すると、途中大崎上島の5つの港を経由することになっているのですが、実際には港の手前で汽笛を鳴らし反応がなければ(一応、船員さんが双眼鏡で桟橋に客がいないか見てました。)通過するというスタイル。結局、途中乗船する客は一人もおらず、竹原まで直行と相成りました。

 竹原港へはほぼ定刻の到着。桟橋は吹きっさらしで雨の日は辛そうでしたが、この日は快晴なのでノープロブレム。近くの桟橋には衝撃的な船も泊まっていたのですが、それについては後ほど。
 桟橋から陸地に上がると、目の前にはかなり立派なビル「たけはら海の駅」が建っていて、観光案内所やレストランも入っているようです。そして市内の「道の駅たけはら」との間には無料のシャトルバスもあるみたい。さらには市内へ行く路線バスや広島空港へのリムジンタクシーもあったりと至れり尽くせりな港なのですが、この港から出発する船はワタシが乗ってきた大崎上島・下島への高速船のほか、大崎上島や契島へ向かうフェリーだけ。以前は四国へ行くフェリーもあったらしいんですけど、しまなみ海道ができたので用済みってところなんですかね。なんかもったいないなぁ~

 竹原港から竹原市内までは約1km。国道185号線を海沿いにてくてく歩いて20分弱といったところでしょうか。天気が良ければ、気持ちよいお散歩コースです♪

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 本川の河口を過ぎると、呉線の踏切が見えてきます。この踏切を越えて真っ直ぐ北に向かえば「道の駅たけはら」や竹原の町並み保存地区があるのですが、ワタシは真っ直ぐ線路沿いに歩いて竹原駅へ向かいます。

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 港から25分ほどで竹原駅に到着(写真は翌朝撮ったもの。)。駅はいかにも地方都市然とした感じですが・・・

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 駅の階段下真っ正面に書かれた「おかえりなさい」。
 都会から帰省した竹原出身のヒトが見たらさぞかし感慨深いんだろうな~と思っていたら、意外と地元では知られていないんだとか・・・

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 有人駅ですが、改札口は簡易ICOCA改札機が設置されています。呉線は全線ICOCAエリアなので、Suicaでの乗降も可能。便利な世の中です。

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 ホーム。駅名票には竹原らしくかぐや姫のマスコットが描かれてます。いよいよ、ここから今回の旅の目的地である吉名へと向かいます。

呉線 普通 竹原(15:32)→吉名(15:38)
列車番号147M 105系電車

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 呉線の広~三原間は完全なローカル線と化しており、日中は1時間以上列車が来ない時間帯もあります。おまけに保線もなおざりなのか、ちょくちょく「徐行」します。竹原と吉名の間は1駅3.5kmなのですが、所要時間は5~7分。うーん・・・

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 吉名駅は無人駅。一応、改札口(?)には申し訳程度に簡易ICOCA改札機が設置されており、ICカード乗車券での乗降が可能になっています。駅舎は比較的新しいようで、まったく見覚えは無し。

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 駅前。
 赤丸のあたりに祖母が営んでいた歯科医院があったようなのですが、見事に跡形もありません。母親にこの写真をメールしたのですが、まったく見覚えは無いとのこと。30年以上の歳月は見事に記憶を風化しきったようです。
 ただ、線路沿いに植えられている桜の木の中には樹齢を重ねたものもあって、それらの中には大昔にワタシが蝉採りをした木もあるはずですね。

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 唯一、ワタシの記憶にあったのが線路の下をくぐるトンネル。このトンネル内の排水溝内でヘビがカサカサッと音を立ててビクッとした記憶が残っています。
 でも、それだけ。ワタシの記憶も幼稚園児の頃のものだからなぁ。
 あまり駅前でウロウロしてると不審者にされちゃうから、さっさと戻ることにしましょうか。

 帰りもやっぱり105系の末期色。ついでに言うと、広~三原・糸崎間は日中に限りワンマン運転をしています。無人駅の場合は2両編成の先頭車両最前部の扉が降車専用となり、運転席後ろの料金箱に運賃を支払うという仕組み。竹原駅のように有人駅の場合は全ての扉から乗降できます。いずれにしても、ワタシのようなICカード乗車券利用の場合は駅の読取機を使うので、無人駅でも乗務員に一言断ればOKです。

呉線 普通 吉名(16:02)→竹原(16:09)
列車番号142M 105系電車

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 さて、竹原に戻ったワタシは今宵の宿となる「竹原グリーンホテル」へ。

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 シティホテルはおろか「東横イン」クラスのビジネスホテルすら無い竹原に、2014年に開業した真新しいホテルがここ。一応Barやレストランも備えていますが、ごらんのとおり客室は一般的なビジネスホテルといった感じです。でも、ワタシがざっと調べた限り「キレイなホテル」は竹原ではここ1軒だけ。もしココが満室だと、広島空港周辺や三原に泊まるしかありません。宿を選ぶヒトにとっては、めっちゃ貴重なお宿です~

 さてさて、まだ陽は長そうなので街並みを見物しに出かけましょう。

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 観光地としての「町並み保存地区」は市街地の北東の一角にあります。駅前のホテルからそちらへ向かう途中、本川沿いにさっそく風格のある建物を発見。昭和初期の建築というこの建物、「寫眞舘」という文字が時代を感じさせますねえ~
 建物の入り口にあった貼り紙によれば、お店は続いているものの営業はここではなく別の店舗で行っているとのことです。

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 町並み保存地区のメインストリート。土曜日とは言え夕方にもかかわらず、まだまだたくさんの観光客がいらっしゃいます。こういう古い町並み目当ての観光客ってお年寄りが多いかと思いきや、意外にも若い人が多いです。

 竹原はもともと下鴨神社の荘園だったものが、江戸時代に賀茂川(この名も下鴨神社が由来ですね。)の河口付近(呉線より南側一帯だったらしい。)で製塩をスタート。さらには元々塩田に海水を引き入れるために作られた本川堀を利用して米や塩の積み出しをスタート。北前船も寄港するようになって商業が発展。塩の暴落があったときも既に酒造など多角化経営により乗り切り、現在に続く立派な町並みが作られたらしいです。

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 町並み保存地区の中でもひときわ目を惹く西方寺の石段。この石段を昇ると・・・

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 竹原の市街地を見下ろすように建つ西方寺普明閣。見た目どおり、京都の清水寺の舞台を模して18世紀後半に建造された観音堂です。

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 さすがにここでは土足厳禁。靴を脱いでいざいざ普明閣の舞台へ~

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 高台にある普明閣からは、竹原市を一望できます。いい眺め~♪

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 町の北側。だんだん山が迫ってくる景色は、この竹原市が賀茂川と本川とで形成された扇状地であることを実感させてくれます。本当はここで夕焼けを撮りたかったのですが、この地形では夕焼けになる前にお日様は山に沈んでしまいそうなのでさっさと諦めました。
 ちなみに、広島空港はこの奥。クルマで30分かからないほど近くにあります。鉄道だとメッチャ不便な竹原ですが、空路だと意外なほど近いです。

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 先ほどの石段を上から。
 ここから町を眺めると、今が平成の世だということを一瞬忘れそうになります。実際、明治から昭和初期の町を舞台にしたドラマや映画のロケ地として、この町並みや建物が使われることも多いそうです。もっとも作品中では「広島」や「尾道」、「呉」の町になることが多いそうですが・・・やっぱり竹原はマイナーすぎなのね。

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 西方寺と照蓮寺との間にある「お抱え地蔵」。「願い事をしながら抱え、もし軽く感じれば願い事が叶うと言われている」そうですが、メッチャ重いです。こんなの「軽く感じ」るヒトっているのか?

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 町並み保存地区の北東端に位置する照蓮寺。立派な鐘楼門が出迎えます。大晦日にはここから鐘の音が町に響き渡るようです。

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 梅の花が咲き誇る照蓮寺の境内と本堂。
 小早川氏(戦国武将で有名な小早川隆景が毛利家から養子に行った先の家ね。隆景の養子が関ヶ原の寝返りで有名な秀秋。どうも男子に恵まれない家柄のようですな。)が元々学問所としていた曹洞宗の由緒あるお寺のようで、一時荒廃したものの福島正則の代に浄土真宗に改宗・再興して現代に至るとのこと。そう言えばウチも母方は浄土真宗だったけど、このお寺の影響もあるのかしら。

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 さてさて、結局お昼ごはん抜きでお腹はペコペコ。せっかくですので、町並み保存地区にあるお店で名物のお好み焼きをいただきましょう。
 というわけで、入ったのはこちら「ほり川」さん。

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 まずは、生ビールに・・・

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 地元の和牛「峠下牛」の鉄板焼き♪
 牛肉そのものも美味しいですが、タレの味も絶妙。それもそのはず、元々このお店は大正期創業の醤油屋さん。この店舗も元は醤油蔵だったんだとか。
 いやぁ、美味しくてビールが進む進む☆

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 そしてやってきましたお好み焼き!さすが広島の地元で食べるお好み焼きは美味しいですー!!
 竹原在住の親戚による事前情報では「ほり川さんは代替わりして、上品になったけどサイズが小さくなった。」そうなので”ダブル”で注文したのですが、十分すぎる量でした。
 これだけ食べて飲んで(生ビールはおかわりしました♪)、お値段は¥3,500ちょっと。サイフにも優しくて素晴らしい~

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 すっかりご機嫌になっての帰り道。ホテルの近くにコンビニが無いので翌朝の朝ご飯を仕入れておこうとスーパーへ向かいます。お目当てのスーパーは竹原市役所のお隣なのですが・・・

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 市役所に立っているこんな看板を見てビックリ。
 「たまゆら」というアニメは知ってますが、まさか市役所が看板を立てるほど影響力(?)があるとは~

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 そういえば、駅前の観光案内所にもデカイ看板があったし・・・

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 駅前商店街にはこんなキャラクター看板に・・・

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 キャラクターの石像まで建っていました。

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 トドメって感じで呆れかえったのは、港に停泊していたフェリーでした。以前,小樽でアニメのキャラクターをデカデカと車体に描いた「痛車」は見たことがありましたが、まさか「痛フェリー」までが存在するとは。さらに、竹原と広島を結ぶ高速バス「かぐや姫号」の車体にもキャラクターが描かれ(横だけじゃなくて後ろにもデカデカと!)、完全に「痛バス」となってました(さすがにワタシも「見慣れ」てしまい、写真を撮る気は起きず。)。

 アニメを利用して町興しってのは最近では普通に行われているようでして、NHKのクローズアップ現代でも取り上げられたほど(「アニメを旅する若者たち “聖地巡礼”の舞台裏」2012.03.07放送)です。そして実際にこのアニメのおかげで、従前はほとんどいなかった若い世代の観光客は確実に増えてきているようで、泊まったホテルでもロビーの一角に「たまゆらコーナー」を設けるなど「聖地巡礼に最適!」を売り文句にしている様子でした。
 いわゆる「オタク」の趣味と見られがちなアニメを手段にしているためか良くも悪くも話題になってますが、映画好きがローマの休日を見てスペイン広場やパンテオン神殿に行ったり歴史好きが全国各地の史跡を巡るのと、やっていることは大して変わりません。この竹原でも、原田知世さんの出世作となった映画「時をかける少女」(1983年公開)の舞台のひとつとなったとかで先ほど食事をした「ほり川」さんにファンが訪れているようですし、最近ではNHKドラマ「マッサン」の主人公の出身地として竹鶴酒造を訪れる観光客も多いんだとか。アニメに親しんで育った若い世代にとっては、年輩世代が歴史や映画(若い世代と年輩世代とで映画への距離感はかなり違うと思う。)に思いを馳せながら旅をするのと同じ感覚で「聖地巡礼」をしているのでしょう。教科書で勉強させられた戦国武将たちよりも最近見たアニメのキャラクターの方がよっぽど感情移入しやすい、ということもあるでしょうしね。そして、そうやってアニメをきっかけにして訪れた若い世代の観光客の中からいくらかでも「竹原の町が好き。」というファンやリピーターが出てきてくれれば、地元としては万々歳といったところなのでしょうね。
 そう考えれば、たとえば歴史好きの観光客のために城跡に鉄筋コンクリートのお城を建てて当時を「再現」するのと同じように、アニメファンの期待に応えようとする姿勢自体は肯ける話です。ただ、さすがにここまで露骨にアニメキャラが氾濫していると、純粋に古い町並み目当てで訪れこのアニメに無縁無関心な観光客(=お金をたくさん落としてくれそうな年配の方が中心でしょうね。)はドン引きしちゃうんじゃないかな~と心配にもなりますけどね・・・船やバスを待ってて「痛フェリー」とか「痛バス」が来たら、ワタシも明らかに乗るのを躊躇しちゃいますもん。「恥ずかしい」って乗らずに予定変更しちゃうヒトもいるんじゃないかなぁ~
 それと、もう一つ気になるのはこのアニメが終わってしまったらおそらく数年で「聖地巡礼」で訪れるアニメファンも姿を消してしまうのではないかということです。アニメでの「聖地巡礼」が歴史や名作映画のそれと大きく違うのは、その作品がよほどの名作(いわゆる宮崎アニメとか。)でもない限りは一過性だということ。おそらく、今竹原を訪れている「たまゆら」ファンも、終了後1年経ったら大半は別のアニメを追いかけているのではないでしょうか。翌日乗ったタクシーの運転手さんとも「この春に『たまゆら』が終わっちゃったら、その後はどうなるんでしょうね?」という話をしましたが、現在「たまゆら」一色に染まっている竹原が来年どうなっているか、別のモノに染まるのか、別の売り出し方を見いだすのか・・・ある意味楽しみです。

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