JR乗りつぶし旅行〜木次線・芸備線〜(後編)

 翌朝。前の職場近くにあった東横インの朝食はイマイチだったのですが、こちらのは思った以上に豪華でした。山菜の炊き込みご飯に鮭の南蛮漬け、そしてカボチャのサラダが美味しい!

 お部屋に戻ってコーヒー(←朝食会場からテイクアウトできます。)を飲んでたら、NHKのニュースの後で偶然木次線の特集番組「木次線 四季の物語」をやってました!前の週に放送された鳥取・松江局限定の番組「さんいんスペシャル」の再放送っぽいです。
 そういえば、3月の旅行の時も2日目の朝に「小さな旅」前日通った餘部駅をやっていたんですよねぇ~
 連続で「重なる」とは、すごい偶然です。

 さて、そろそろ駅へ行きましょう。
 駅舎はなんか独特のデザイン。行ったことないけど、たぶん出雲大社をかたどっているんでしょうかね。

 改札口はなんと自動改札!県庁所在地の鳥取駅ですら自動改札じゃなかったのに・・・なんてゼイタクな!

 駅の片隅には駅ピアノもありました。せっかくなので、サクッとHeaven’s Songを弾き逃げしちゃいました(笑)

山陰本線 普通 出雲市(08:39)→宍道(08:58)
列車番号130K キハ126系気動車(キハ126-3+キハ126-1003)

 ホームに停車中だったのはキハ126系の米子行き普通列車。キハ40系の置き換え用として開発された新型気動車です。

 のんびり発車を待っていたら、381系ノーマル塗装の特急やくも10号岡山行きが入線してきました。この「やくも」のために、車両基地があるお隣の西出雲駅から伯備線との接続駅である伯耆大山駅までは電化区間となっています。
 それなら西出雲・出雲市~米子間の普通列車も電車にすればいいのにね。

 それはともかく、特急やくも10号を見送った後でのんびりと米子行き普通列車は発車。直江、荘原と停車して定刻どおりに木次線の起点である宍道駅に到着しました。

木次線 普通 宍道(09:09)→木次(09:43)
列車番号1445D キハ120系200番台気動車(キハ120-207)

 いよいよ木次線の旅が始まります。
 日曜日であれば「おろち号」は宍道駅から運転されるのですがそれ以外の曜日は途中の木次駅始発なので、今回は普通列車で木次駅まで向かいます。
 ホームに佇んでいたのは、JR西日本がローカル線用に開発したキハ120系気動車。全長16mと一般の通勤電車より20%ほど短く、ドアもバスのような折戸。もちろん前後両方に運転台が付いていますが、運転「室」ではなくバスのように左側半分を仕切ってあるだけ。客室と運転室の境はチェーンと運賃箱で区切られています。ほとんど、レールを走るバスみたいな感じですね。
 車内は中央にボックスシートがあってドア付近が3人掛けのロングシート。後方にはトイレも付いてます。普段はガラガラでもちろんワンマン運転なのでしょうが、この列車は「おろち号」への接続列車となっているせいか半分くらい席が埋まっていて特別に車掌も乗務していました。

 宍道駅での木次線の時刻表。ご覧のとおり、ほぼ2時間に1本って感じです。これじゃあ採算なんかとれないんでしょうねぇ・・・

 お向かいのホームにやってきたのは、鳥取行きの特急スーパーまつかぜ6号。振り子機構と高出力エンジン2台積みでもって表定速度80km/h以上でかっ飛ばすというトンデモナイ列車です。今日もけっこう混んでいるみたいですねー。

 さて、特急を見送った後でこちらも発車時刻。
 あちらの韋駄天走りと異なり、こちらはえっちらおっちらと佐々布川(さそうがわ)沿いの草ぼうぼうの線路をのんびりと中国山地へ向けて走ります。お隣の南宍道駅を過ぎたあたりで最初の峠越え。15km/h制限の急カーブが連続する区間を超えると加茂中駅。この峠を境に松江市宍道町から雲南市大東町に入ります。
 そこから木次線で最大の利用者数を数える出雲大東駅までは斐伊川の支流である赤川沿いに東進します。出雲大東からは南西に向きを変えて終点の木次駅に到着。

 木次は雲南市の中心地。駅から斐伊川を挟んで対岸には中国横断自動車道の木次ICもあります。出雲大東から病院通いのおじいちゃんも乗ってきてましたから大きな病院もあるのかしら。

 駅の東側は操車場になっていて、そこにこれから乗る「奥出雲おろち号」がいらっしゃいました。じきに「おろち号」はゆるゆると下り方面に進み本線に合流して停止。乗ってきた普通列車がバックして2番線を空けると、そこへ入線してきました。

木次線 普通「奥出雲おろち号」
  木次
(10:08)→備後落合(12:36)

列車番号8421 DE10-1161+スハフ12-801+スハフ13-801

 「おろち号」を牽引するDE10-1161号ディーゼル機関車。昭和46年製造の御年52歳。製造以来ずっと山陰暮らしのようですな。
 もともとこの「おろち号」の牽引は冬季に木次線のラッセルを担ってきたDE15-2558号(DE15型はDE10型にラッセルヘッド連結設備を取り付けたもの。)が担当していてDE10-1161号はその予備機だったのですが、DE15-2558号は2021年になんと廃車!となってしまったため予備機がフル稼働しているんだとか。
 ちなみに予備機の予備はないため、このDE10-1161号が定期点検や故障したときには「おろち号」自体が運休してしまいます。

 さて、それではさっそく乗ってみましょう♪
 こちらは「控車」として連結されている1号車。スハフ12-801という型番が付いていますが、種車はスハフ12-40でして昭和44年製の御年53歳。
 製造時は急行用客車らしくボックスシートだったのでしょうが、その後急行「だいせん」として使用されたときに簡易リクライニングシートに変更されたっぽいです。トイレや洗面台も付いてはいますが、国鉄急行時代の和式トイレのまま。なので、木次駅出発前には「和式トイレしかないので洋式トイレをご希望の方は当駅でトイレを済ませてから乗車してください。」というアナウンスが繰り返し流れてました。
 この1号車は「控車」という名のとおり、悪天候などにより吹きさらしのトロッコでの乗車が辛くなったときに同じ番号の座席を利用できることになっています。今回も標高が上がるにつれて気温は12℃くらいまで下がっていたので、後半はこちらに移る客がけっこういらっしゃいました。

 こちらが先頭となる1号車。スハフ13-801という型番が付いていて、種車は昭和52年製造のスハフ13-148です。もっとも2号車と違いこちらは跡形もないほどの改造ぶり。窓を取っ払ってトロッコ化したほか、座席は不燃化木材のイスとテーブル。天井には神話の里をイメージした装飾とレトロなランプが設置されています。
 車端部はカウンター席みたいな感じですが、中央部は4人掛けのボックスシートとなっています。満席かと思いきや、私のボックスはお向かいに関西からいらっしゃったという男性客1人だけでした。

 先頭車なので車端には運転台を取り付けた上で、ヘッドライトとスカート(排障器)を設置しています。つまり、運転士はこの運転台から最後部に連結した機関車を運転するわけですね。
 そのため、1号車と機関車は連結器とは別に重連総括ジャンパーでつながれています。本来は急勾配区間などで機関車2台を連結するときに使用するものだと思うのですが、こうやって外部の運転台から運航するときにも利用できるんですねー。DE10の運転台は横向きなので、たぶん正面を向いて運転できるこっちのほうが運転しやすいんじゃないかしら。

 木次駅を出発すると、いきなり急勾配。窓がないので線路わきの木の枝が車内に容赦なく飛び込んできます。「本日は雨のため垂れ下がった木の枝が列車に当たることが多くなりますのでご注意ください。」ってアナウンスも流れてました。
 木次駅から下久野駅までは斐伊川の支流である久野川沿いに東へ進みます。小さなトンネルが連続し、その合間で美しい渓流と新緑に目を奪われます。

 下久野駅を出ると、全長2,241mにわたりひたすら直線が続く下久野トンネルに入ります。
 トンネルでは天井に設置された「おろち」のイルミネーションが輝きました。

 トロッコ車の照明は弱いランプとこのイルミネーションだけなので、トンネルではかなり暗いです。確か12系客車って照明の電力はディーゼル発電機ではなく車軸発電機で賄っているはずだから、あまりゼイタクに明るくできないんじゃないかしら。一応、1号車には冷暖房のために発電機が積まれていますけどね。

 トンネルを抜けると出雲八代駅に到着。この駅ではかわいい子供たちがお出迎えしてくれました♪

 お出迎えの子から「はいっ」ってトロッコの窓越しに渡されたかわいいカード。子供たちのお手製ですね♪
 この「奥出雲おろち号」は、運行費用の一部を沿線自治体が営む「出雲の國・斐伊川サミット」が支出しています。それだけに、各駅でこのような歓迎イベントがあるほか、沿線住民も列車が通りかかると手を振って歓迎してくれるなど、地元と一体で観光列車を盛り上げているようでした。

 出雲矢代駅から真南に進むと斐伊川上流の中心地である出雲三成駅。ここで上り列車と交換してから斐伊川の支流の亀嵩川沿いに東進すると、松本清張の名著「砂の器」で有名な亀嵩駅に到着します。

 亀嵩駅は駅舎に蕎麦屋があって、予約しておくとホームまで出前をしてくれます。私も1つ注文してお買い上げしました。
 お向かいの席の方は知らなかったようで、「帰りの電車で戻るのでそのときに1つください!」って注文してました。
 この駅で、斜向かいの席に男性客がお蕎麦片手に乗車してきました。なんでも三次から始発列車を乗り継いできたんだとか。常連らしく、慣れた感じでさっそくお蕎麦をツマミに持参した賀茂鶴の四合瓶をラッパ飲みしてました(笑)
 備後落合駅から来たというので「名物おじさんはいましたか?」って尋ねたら、今日もちゃんと「出勤」されていたとのこと。これは楽しみが増えました~♪(←この会話のイミについては後ほど。)

 この「奥出雲おろち号」では、この亀嵩駅以外でも八川駅でお蕎麦を販売している(こちらも原則予約制)ほか、出雲三成駅から亀嵩駅までの区間では「仁多牛べんとう」の車内販売があります。ほかにも木次駅ではプリンなどを売っていたし、アイスクリームやクリーム大福の車内販売があったかな。
 ちなみに、ソフトドリンクは車内の自販機で販売されていますが、アルコールは木次駅前のスーパーで予め買っておくしかありません。

 亀嵩駅からまたトンネルで南進して出雲横田へ。出雲横田からは斐伊川の支流下横田川沿いに南へ進みます。この出雲横田駅から先は30‰の急勾配と急カーブが続きます。
 八川駅でもうひとつ注文してあったお蕎麦を受け取ると、室原川沿いにさらに南へ。やがて左側に線路が見えてきました。

 出雲坂根駅に到着。駅舎は2010年に新しくなったらしく、キレイな洋式トイレもあります。
 標高564mにあるこの駅からお隣にある標高726mの三井野原駅までの区間はJR西日本で唯一の三段スイッチバック(他社ではJR九州の豊肥本線立野駅や肥薩線大畑駅・真幸駅などが有名。)があり、この列車の「メインイベント」とも言えます。直線距離でわずか1kmのところを、スイッチバックと9本のトンネルを駆使して、それでも6.4kmで162mの標高差を越えていくわけですね。平均25‰(1kmで25m上がるということ。御茶ノ水駅から神田駅への下り勾配が23‰でほぼ同じ。)、最大30‰(御茶ノ水駅から秋葉原駅に向かう登り勾配が33‰でほぼ同じ。)の急坂が延々と続くというのは、蒸気機関車時代には大変だっただろうと思います。しかも、この辺は豪雪地帯だし。
 列車はこの駅で折り返してスイッチバック区間に入るので5分ほど停車します。運転士さんもディーゼル機関車に乗り換えないといけませんしね。

 出雲坂根駅の名物のひとつがこの「延命水」。奥出雲観光協会のホームページによると「寿命100年をこえたと思われる古狸が好み飲用した」んだそうです。マジか?

 もうひとつの名物が、この焼き鳥。駅舎脇の出店で香ばしい煙を振りまきながら売っています。ちゃんと、その脇ではワンカップも売ってましたよ(笑)

 駅のホームから南の空を仰ぐと、遥か上空に木次線沿いに走る国道314号線の三井野大橋が見えます。これから十数分後には、あの橋を見下ろすことになるなんて信じられません。

 さて、そろそろ出発です。今まで走ってきたのが左側の線路。今度は右側の線路に入ります。

 左下には木次から走ってきた線路が。登り坂のキツさがわかりますねー。

 やがて、再び右側に線路が見えてきました。

 2段目と3段目の折り返し場所に到着。ポイントが雪で故障しないようにスノーシェードに覆われています。出雲坂根駅からこの分岐点までは約1km。そしてシェードに覆われたポイント部分から奥にもけっこうな長さの引込線があります。木次線が陰陽連絡路線として長編成の急行列車が多数運行されていた時代を彷彿とさせますね。
 数分かかって、運転士さんがディーゼル機関車からトロッコ車の運転台に戻ってきました。マスコンハンドルをセットすると、ポイントが切り替わって出発信号が赤から青へ。いよいよ出雲三成駅へ向けて三段目を登ります。

 「おろち号」は30‰の急勾配をグングンと登っていきます。三井野大橋がいつの間にか同じ高さに見えてきました。
 並走する国道はこの区間を「おろちループ」と名付けられた二重ループ式道路で高低差105mを駆け登るのですが、出口にある三井野大橋の手前には展望台があって木次線を見下ろせます。何人かドライバーが佇んでいて手を振ってくれましたよ。

 いくつもの小さなトンネルを抜けると、ついに三井野大橋を見下ろす高台に到着。圧巻です。

 やがてJR西日本で最も標高が高いところにある三井野原駅に到着。
 行動成長期には駅直結のスキー場(新潟のガーラ湯沢みたいなもの?)として賑わったそうですが、レジャーの多様化とともに寂れて今は3本あったリフトもなくなったとか。

 三井野原駅の先で分水嶺を超えて、西条川沿いに南下。終点の備後落合駅を目指します。
 備後落合駅到着のちょっと前に、古びた転車台がありました。

 その隣には給炭台も。かつてのSL全盛期には大活躍していたんでしょうね。

 終点の備後落合駅に到着です。
 乗客の大半は20分後に出発する折り返しの「おろち号」に乗るっぽいです。

 ワタシはお腹が空いたので人気のない待合室へ。ここで先ほど仕入れたお蕎麦をいただきます♪

 こちらは八川駅で仕入れた八川そば。山あいのお蕎麦らしく、舞茸や山菜のトッピングがいい感じです。

 こちらは亀嵩駅で仕入れたそば弁当。卵入りのとろろがいい感じでした。どっちも美味しかったですよ。

 お蕎麦を食べ終えたところで、折り返しの木次行き「おろち号」が出発していきました。

 さて、あと1時間半以上この駅からの列車はありません。のんびりと駅を散歩しましょうかね。

 駅は2面3線。駅舎がある単式ホームと島式ホームがあり、島式ホームへは構内踏切で連絡しています。長いホームが、かつて3方向からの列車が終結するターミナル駅だったころを彷彿させます。

 何か良い香りがするなと思ったら、藤の花が満開でした。関東じゃとっくに終わってますけど、こちらは標高が高い(462m)から若干遅めみたいですね。

 駅舎に入ってビックリ。まるで資料館です。

 この備後落合駅には「名物おじさん」と呼ばれる方がいらっしゃいます。それが元国鉄機関士の永橋則夫さん。御年80歳。
 元同僚に声をかけて往年の備後落合駅や芸備線の写真を集めて駅舎に展示しているほか、ほぼ毎日駅に来て希望する乗客たちを「ガイド」してくれているそうです。
 全国紙の記事になるほど有名なこの方、今日も国鉄の制服姿で我々を出迎えてくれました。

 駅舎で次の列車を待つのは私のほか5名ほど。永橋さんは暖かいコーヒーを振る舞ってくれてから、小一時間ほど往年の思い出話をしてくれました。
 今でこそ寂しい木次線や芸備線ですが、昭和40年代くらいまでは山陰と山陽を結ぶ大動脈でした。まだ高速道路がなく、広島から松江までバスだと6時間以上かかっていた時代のことです。
 しばらくは非力なSL牽引だった木次線ですが、昭和34年にディーゼルカーが導入されると大幅にスピードアップ。最盛期には広島から芸備線・木次線経由で米子とを結ぶ急行「ちどり」(松江城の別名ですね。)が昼行・夜行便を併せて5往復していたほか、岡山駅から伯備線・芸備線経由で広島とを結ぶ急行「たいしゃく」が2往復運転されていました。そうなると、芸備線と木次線との接続駅である備後落合駅は200人を超える職員がおり不夜城となっていたそうです。たまに牛がトンネルに迷い込んで機関車に轢かれることもあったようで、そうなると鍋を抱えた当直職員が駆けつけて翌晩の鍋の具材にしたんだとか。でも、うまく血抜きをしないと食えたものじゃないと思うんだけど・・・(苦笑)
 今では大雪になるとすぐに「月単位で」運休となってしまう木次線ですが、当時は大動脈だけに人海戦術で雪かきをして運行を維持していました。「三八豪雪」といわれる昭和38年の大雪のときにはラッセル車では間に合わないため、沿線住民をかき集めて雪かきをしたんだとか。当時1日2万円の日当が出たそうで、永橋さんは駅舎の写真を指しながら
「ほら、この写真の人は近所のおじさんなんだけど、嬉しそうだろ?たぶん、日当が出て、これで年が超せるってんで嬉しくなったんじゃないかなぁ。」
と語っていました。
 山陽新幹線の岡山延伸に伴う伯備線へのシフトや中国自動車道の開通、そして国道54号線の整備、さらには木炭の需要の激減といった事情が重なり昭和50年代になると木次線や芸備線は利用者数が激減。そして今に至るといったところみたいです。

 駅舎の片隅には備後落合駅の案内パンフレットもあります。構内配線図や見どころなどが盛りだくさん。もちろん永橋さんも右下に。

 おそらく元は燃料庫だったと思われるブロック積みの建物の中には備後落合駅のジオラマがあるというので、見せてもらいました。昭和40年前後の備後落合駅の姿だそうです。

 SLや急行ちどりで使用されたキハ58系が並ぶ中、ふと車庫に目をやると、どう見ても昭和40年にはなかったと思われるおろち塗装のDE15-2558号が。永橋さんによると、ファンの方が寄贈してくれたんだそうで「ここに置かないわけにはいかないでしょう。」だって。

 ふと外が賑やかになってきました。ホームに行くと、木次線の1449D列車が到着。折り返し14:43発の1462D普通列車となります。
 駅舎の外では大きなバスが2台停まっていました。14:43発芸備線444D新見行き普通列車が3月末の落石脱線事故により当面運休となるので、その代行バスです。
 そして、私が乗る予定の三次行き普通列車も入線してきました。

芸備線 普通 備後落合(14:39)→三次(16:01)
列車番号359D キハ120系300番台気動車(キハ120-322)

 永橋さんに別れを告げて、再び列車の旅に戻ります。
 芸備線は広島から三次、備後落合を経て伯備線の備中神代駅まで中国山地を縫うように縦断する路線。このうち広島から三次までは比較的需要がありますが、三好から新見までの区間は廃止の噂が絶えない区間です。

 備後落合駅から備後庄原駅にかけては、太田川の支流である西条川沿いを、その先七塚駅から三次駅までは国兼川沿いを走ります。この2つの川はいずれも三次で江の川に合流して日本海へ向かいます。ちなみに、三次からこの江の川沿いに江津まで走っていたのが5年前の2018年3月に廃線となった三江線でした。
 途中、備後庄原あたりまではひたすら山道。25km/hや15km/hの速度制限が随所にありました。まあ落石に乗り上げたら大変ですからねぇ・・・
 てっきりマニアくらいしか乗らないだろうと思っていたら、備後落合駅から2駅先の備後西城駅で高校生が2人ほど乗ってきてビックリでした。この列車を逃すと3時間待ちというダイヤなのですが・・・

 2時間半ほどかかって三次駅に到着。乗り換え時間は4分しかないので跨線橋を渡って大急ぎで1番線に行くと、「危ないですから走らないでください。」とアナウンスされちゃいました(苦笑)

芸備線 快速みよしライナー
  三次
(16:05)→広島(17:30)

列車番号5861D キハ47形気動車(キハ47-1040+150)

 芸備線の三次~広島間は普通列車が毎時1本のほか1日数本の快速列車も設定されています。この快速「みよしライナー」は急行ちどりの名残なんだとか。

 使用車両もキハ40系の近郊タイプであるキハ47形の2両編成。途中の下深川駅あたりまではガラガラだったけど、それ以降はかなり混雑してましたね。

 三次駅から分水嶺となる向原駅までは江の川沿いを走ります。この間、快速列車は途中甲立駅しか止まらないという快走ぶり。
 向原駅で分水嶺を超えると、今度は三篠川沿いを太田川への合流地点である下深川駅まで走ります。この間も途中志和口駅しか止まらず、三次から広島まで普通列車より30分ほど所要時間を短縮しています。さすが元急行列車☆

 三篠川と太田川の合流地点である下深川駅からは、急に通勤路線っぽくなって乗客が増えてきます。快走していた快速列車も、この駅から終点の広島駅までは各駅停車になります。ここまでハッキリ需要が分断しているのなら、広島~下深川間は電化してもいいんじゃないかしら。

山陽・東海道新幹線  のぞみ50号
  広島
(17:43)→東京(21:33)

列車番号50A N700S電車(J22編成)

 広島駅からの下り列車が若干遅れたようで、こちらの列車も交換待ちのため5分ほど遅れて広島駅に到着しました。この駅でも乗り換え時間は10分ほどしかないので、大急ぎで新幹線改札を通過して帰りのお弁当をお買い上げ。
 ホームに上がると、ウレシイことに今春からようやく山陽新幹線にも乗り入れを開始したばかりの新型車両N700Sが入線してきました♪
 各車両のドア上の情報表示板がLEDから大型の液晶ディスプレイになったほか、トイレも温水洗浄便座が付いた(←コレは一世代前のN700Aからのようですが。)のがウレシイです。東北新幹線のE5系ではウォシュレットがデフォですからねぇ。

 座席に座ったら、さっそくお弁当をいただきます。お買い上げしたのはこちら。「ビックリたこめし」¥1,080ナリ。

 中身はこんな感じ。柔らかい煮蛸に蛸の天ぷら、そして錦糸卵と広島菜のコラボがなかなか素敵でした。銀杏のアクセントもいい感じ。
 食べ終えたら、ゆっくり座席でひと眠り。総移動距離1,106.3kmを丸一日約13時間で駆け巡る旅は無事に終わりました。って言っても、そのうち約900kmが最後の新幹線なわけですけどねー(笑)
 やっぱ、新幹線ってすごいや!

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