思わぬところで北村薫評

 今朝の北関東は曇り。雲がかかると、お家を出る時間は完全に「夜」になっちゃいました。

 先日大人買いした本を読んでいたら、面白い議論が書かれていてニヤリとしちゃいました。
 篠田真由美さんの建築探偵シリーズ番外編である「誰がカインを殺したか」に収録されている短編「桜井京介と《日常の謎》」。「日常の謎」と言えば北村薫さんの代名詞だなーと思っていたら、まさに小説の中でそのことが議論されていました。

「そもそも日常の謎てえのは北村薫のデビュー作がその嚆矢で、なかんずくその短編集中の一作『砂糖合戦』にとどめを刺すってのが俺の持論だ」
「あれは僕も読んでますけど」
「だったらわかるだろう。殺人はもちろん、なにひとつ犯罪は起こらない。企てられたのは些細な悪戯で、被害を出す以前に防がれた。しかしそこに日常を脅かす不気味な亀裂が見事に活写されている。つまりは正視すればおぞましい、人間の本質が描かれているのだ。いまだにあれを超えた作品はない。」
(中略)
「ミステリというジャンルでは、例えばクラスメイトのささやかな嘘の理由を探るより、密室に置かれた首無し死体の真相を解明する方が読者の興味を惹きつけやすい。凡庸なありきたりの舞台と、単なる知識の欠落や認識の欠如、故意ならざる錯誤の結果生じる疑問は、どう取り繕ってみても魅惑的な謎とはいえず、それを小説として成立させるにはなにより修辞の力が要る。密室の首無し死体を扱うより、遥かに困難な力業です。北村薫はデビュー当初から、すでに完成された文章力の持ち主でした。だからこそ派手な事件、派手な謎を取り扱わなくとも、魅力的なミステリが書けたのだと考えます。」

 なるほどー見事な分析。確かに北村薫さんの作品の魅力の一つはその見事な文章力ですからね。
 それに加えて、何よりも「些細な謎」を「謎」と認識して、あるいは生み出してそこから小説世界を作り上げていく取材力、創造力もすごいと思いますが。

 ちなみに、この議論はさらに続いてまして・・・

「しかし僕にはそもそも、ミステリでの日常と非日常の差異が実感できません。密室とはいってもミステリに登場するそれは密室のように見える空間に過ぎず、つまり現実に存在可能です。あり得ないという言い方をするなら、北村薫作品の語り手のような清純で明敏な女子学生や、人格的にも能力的にも秀でて自在に探偵の才能を発揮する落語家の方がよほどあり得ぬものに思えます。」

 うわぁ~それを言っちゃオシマイでしょ!

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