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翌朝。まだ日が昇らない6時前にチェックアウトして、徒歩ゼロ分の八戸駅へ。
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八戸線 普通 八戸(06:05)→久慈(07:51) 列車番号425D キハE130系気動車(E131-502+E132-502)
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今朝、まず乗るのはJR八戸線です。 八戸線は路線名にもなっている八戸駅を起点に、八戸港の海岸線をなぞるように東へ進み、そのまま海岸線に沿って南下して三陸鉄道リアス線の起点である久慈駅に至る路線。全線非電化で、単行または2両編成のディーゼルカーが1時間に1,2本走っています。
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E130系気動車の500番台は八戸線専用に制作されたもの。車体には沿線の景勝地である蕪島のウミネコが描かれています。
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車内はこんな感じ。1-2アブレストのボックスシートは110系気動車のスタイルを踏襲していますが、車内の雰囲気はE531系に似ていますね。
八戸駅を出発すると、ちょっと北に進んだところで青い森鉄道線(元東北本線)と分かれて東に進みます。馬淵川の河口にかかる橋を渡ったところで高架になり、そのまま高架駅の本八戸駅に到着。
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新幹線の駅がある八戸駅が八戸市の東のはずれにあるのに対して、この本八戸駅は市街地中心部の最寄りにあります。高速バスや三沢空港への連絡バスが発着する八戸バスターミナルもこの本八戸駅近くにあるしね。なので、この駅ではけっこう乗客の乗り降りがありました。
本八戸駅から先はどことなく古い港町の雰囲気がただよう街並みをトコトコと走り、八戸駅から20分ほどで八戸港の東端にある鮫駅に到着します。
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「鮫」とはなかなかインパクトのある駅名ですが、元はこのあたりに多かった「沢」が訛って「鮫」という地名になったんだとか。 それはともかく、八戸駅からこの鮫駅までが市街線という位置づけで1時間に1~2本程度運行されているのですが、その先は極端に本数が減って2~3時間に1本となります。そして駅間もかなり長くなってます。
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鮫駅を発車してすぐに見えてくるのが蕪島。八戸を代表する観光地のひとつで、数万羽のウミネコが暮らす繁殖地として天然記念物にも指定されています。もともとは地名のとおり島だったのですが、今は埋め立てられて陸続きとなってます。ちなみに「蕪島」の地名はアイヌ語の「カピウ=ウミネコ」「シュマ=岩場」が由来(ほかに「蕪=アブラナ」説や「神島」が転訛したという説がある。)なんだとか。
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鮫駅から陸中中野駅にかけての区間は海岸段丘となっていて複雑な海岸線を描く景勝地です。 車窓からの景色も素晴らしいのですが、写真を撮るとなるとE130系気動車の窓はIRカットガラスでスモークがかかっているのでイマイチになってしまいます。この写真もPhotoshopの修正をかけてやっとこ見られる写真にした次第。
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鮫駅の2駅先が「種差海岸」駅。これで「たねさし」と呼び、アイヌ語の「タンネ=長い」「エサシ=岬」が由来だとか。 この種差海岸駅に限らず、八戸線の駅名はおもしろいものが多いです。「おおじゃ」駅も深い岸を意味するアイヌ語が由来。「はしかみ」は「階」=はしごを意味し海岸段丘の地形を表してます。「宿戸」は一見近くの二戸や八戸(これらの「戸」は地区単位を意味する。)と同列かと思いきや、実は「ウグイが湧く川」を意味するアイヌ語由来なんだとか。 実際、弥生時代後期から古墳時代(アイヌの歴史区分では続縄文時代)にかけてアイヌ民族が東北地方北部まで南下していたようですから、その影響ですかねぇ。
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有家駅近くの有家海岸はとっても美しい砂浜でした。 この先の陸中中野駅を出ると列車は海を離れて高家川沿いに山の中へ。
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夏井川を渡ると終点の久慈駅はもうすぐ。
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八戸線の終点、久慈駅に到着。ここから三陸鉄道の旅が始まります。
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構内踏切を渡って外へ。JRの駅舎はすごく立派な感じがします。でも、一応みどりの窓口はあるものの営業時間はとっても短くてこの時間はガランとしてました。
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その隣にあるのが古めかしさを感じる三陸鉄道の駅舎。こちらは大ヒットした朝ドラ「あまちゃん」にも登場しましたね。 駅舎に入ると、その片隅に「リアス亭」という立ち食いそばのお店があります。ご夫婦でやっている小さなお店ですが、このお店には隠れた名物がありましてね。事前に電話で予約してあったワタシは難なく入手できましたが、繁忙期には朝7時の開店から1時間も経たずに売り切れることもあるんだとか。
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三陸鉄道リアス線 普通 久慈(08:05)→宮古(09:45) 列車番号108D 36-700形気動車(36-717)
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駅員さんが乗車案内を始めたってアナウンスしてたのでホームへ。 そこで発車を待っていたのは一見「あまちゃん」でよく見た列車にそっくりの36-700形。震災直後にクウェート国からの支援を受けて初期車3両を導入。今回乗る717号は、山田線の宮古駅~釜石駅間が三陸鉄道に移管された際に増備された車両です。
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車内はこんな感じ。ちゃんとトイレもあります。 乗った列車は宮古行き。山田線の一部区間が三陸鉄道に移管されるまでは「北リアス線」と呼ばれていた区間になります。 久慈駅で乗ったときは高校生で超満員でしたけど、二駅先の陸中野田駅で高校生はいなくなってそこからはガラガラになりました。
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三陸鉄道は路線自体が「あまちゃん」の聖地ですけど、そんな中でもところどころにこんな看板が出てました。主人公のアキたちがウニ丼を売るシーンに出てくるそうです。まったく記憶にないけど。
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乗ったのは普通の定期列車ですが、それでも眺めがよい橋の上などの「名所」で一時停車してくれます。 こちらは高さ33mから太平洋を望める安家川(あっかがわ)橋梁。
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堀内駅は、ドラマ「あまちゃん」で「袖ヶ浜駅」とされていたロケ地。写真撮り忘れたけど、ホームの端っこにドラマで使われた「袖ヶ浜駅」の駅名票も残されています。
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三陸鉄道随一の名所と言われる大沢橋梁。もちろん列車はここでも一時停車してくれます。 赤いアーチの国道橋もなかなかフォトジェニックなのですが、実はあちらの国道のほうが列車を見下ろしつつ海も望める撮り鉄スポットとして有名だったりします。
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大沢橋梁から眺める太平洋もなかなかの風景。 実はこの真下の砂浜、”夏ばっぱ”が主人公に向かって「アキ~!つらくなったらけえって来いよ~!」大漁旗を振った「あまちゃん」の名場面の地でもあります。今でも時折地元の方が列車に向かって大漁旗を振ってくれるんだとか。今日はなかったけどね。
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「あまちゃん」の聖地だらけの三陸鉄道リアス線ですが、聖地巡礼を抜きにしても美しい風景がそこかしこに見られます。乗ってるだけで、幸せ。
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普代駅のあたりはなかなかの豪雨になりました。 列車はもくもくと普代川にかかる鉄橋を渡ります。
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終点の宮古駅に到着。 すぐにこの先を走る盛行きの列車に乗り換えるのですが、ワタシはいったん駅の外へ向かいます。
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実はこの先で使う「えきねっと」予約のチケットの受け取りを1枚忘れてましてね。この宮古駅には営業中のみどりの窓口があったのでそこで受け取ることにしました。 みどりの窓口に行くにはいったん改札口を出場しなきゃなのですが、三陸鉄道には普通運賃と同額で途中下車が可能なチケットがあったのでありがたく活用させていただきます。
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三陸鉄道リアス線 普通 宮古(09:56)→釜石(11:23) 列車番号2010D 36-700形気動車(36-718)
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待っていたのは同じ36-700形単行列車。でも、なぜか宮古からは満員御礼でしてね。みどりの窓口での発券で出遅れたため椅子にありつけなかったワタクシ。しかたなく運転席横に陣取って車窓を楽しむことにしたのですが、そうしたら運転士さんが話しかけてくれましてね。 「この先は防潮堤が嵩上げされちゃったからあんまり海の景色を見られるところはないんだけど・・・」と言いながらも、いくつか沿線のビュースポットを教えてくれました。大感謝です♪
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宮古駅を出発してすぐに渡るのが閉伊川。なかなかの川幅があります。 そうそう、この宮古駅から釜石駅まではもともとJR山田線だった区間でして、三陸鉄道に移管される前は久慈駅~宮古駅が「北リアス線」、釜石駅~盛駅が「南リアス線」と呼ばれていました。
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津軽石駅に到着。宮古湾の最奥にあって鮭の遡上でも有名な町です。 この駅で列車交換のためしばらく停車するのですが、反対側のホームには近くの保育園の園児たちが列車の見送りのため来ていました。すると運転士さんがホームの保育士さんに「こっちにも手を振ってくれませんか?」ってお願いをしてから「園児たちが見送ってくれています。手を振り返していただけると幸いです。」というアナウンス。なんとも牧歌的な光景です。
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真新しい陸中山田駅。震災の津波や火災で壊滅的な被害を受けた地区です。 もともとはここの地名から「山田線」という路線名が付けられていたのですが、震災後にこの駅を含む区間が三陸鉄道に移管されたため、今の山田線は「山田」を通らないという珍奇なことになってます。
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震災前は正面に山田港が見えたんでしょうけど、今は高~い防潮堤に阻まれてます。出発前に運転士さんがおっしゃっていたとおり、まったく海は見られませんねぇ。
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織笠駅の先の高台でようやく山田湾を見下ろせました。このへんは牡蛎の養殖が盛んらしく、あちこちに養殖いかだが見られます。
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岩手船越駅。全然知らなかったけど、この駅が「本州最東端」の駅なんだそうです。
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浪板(なみいた)海岸が見えてきました。この浪板海岸は寄せ波はあっても返し波がない「片寄波」の砂浜として有名なんだそう。サーファーには喜ばれそうな場所ですね。
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ひょうたん型の屋根をもつ駅舎が見えてきました。この日は駅前でお祭りをやってるみたいです。
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震災で甚大な被害を受けた場所として有名になってしまった大槌。駅の周辺はどこもかしこも真新しいです。
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三陸鉄道の各駅には愛称が設けられていて駅名票にも書かれています。この鵜住居駅の愛称は「トライステーション」。
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その由来がこちら、釜石鵜住居復興スタジアム。 もともとこの鵜住居地区を含む釜石はかつて日本選手権七連覇を果たした新日鐵釜石の地元だったことから、震災により壊滅したこの地区にスタジアムを含むスポーツ公園を設置。更には仮設のスタンドを増設して2019年に開催されたワールドカップの試合会場としても使われたそうです。
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右側からJR釜石線の線路がやってきて、一緒に甲子川を渡ります。
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左側に転車台が見えます。かつて釜石線ではSL銀河が運転されていましたから、その名残ですね。残念ながら客車の老朽化で廃止になってしまいましたが。
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釜石駅に到着。この駅は震災のとき1mほど津波に浸かったそうですが、倒壊は免れて往時の施設がそのまま利用されています。
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釜石線 快速はまゆり54号 釜石(11:28)→新花巻(13:02) 列車番号3624D キハ110系0番台気動車(110-1+110-3+110-4)
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最初の計画ではこのまま三陸鉄道で盛駅へ向かうつもりだったのですが、そっちへ行くと帰宅が真夜中になってしまい先日お買い上げしたパソコンの受け取りができなくなってしまいます。なので、泣く泣くここから釜石線に乗り換えることに。
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この快速「はまゆり」は在来線の定期快速列車にしては珍しく指定席が設けられています。もともとは「陸中」という急行列車だった名残ですね。 キハ110形自体は東日本の非電化路線を走る普通列車として多用されているのですが、そのうちこの0番台は急行用として制作されたもの。なので座席はリクライニングシートが設置されていて照明にもグローブが設置されているほか、ドア付近には仕切りが設けられています。 快速列車に格下げとなった今は指定席車両だけこの0番台が用いられ、自由席車両は運が良ければ0番台、そうでなければボックスシートの100番台になるんだとか。この日は3両すべてが0番台という大盤振る舞いでしたが。
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ワタシはもちろん事前に指定席を予約していました。見たところ、半分くらい埋まってましたかね。 お昼時ということで、席に着いたところで久慈駅で仕入れたお弁当を紐解きます。
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掛け紙を解くと、中にはぎっしりと蒸しウニを敷き詰めた金色のお弁当♪ このウニをかき分けると中にご飯があるのですが、そのご飯もウニとともに焚き上げたウニご飯!なんともウニ尽くしの贅沢な一品です。 このウニ弁当、もともと知る人ぞ知る名物だったのですが「あまちゃん」の中で「夏ばっぱのウニ丼」として登場したことで一躍入手困難となりました。ご夫婦で細々とつくっているため1日20食限定。これとは別に予約を受け付けてはいますがそれとて作れる数に限りがあり、夏休みシーズンなどは予約が取れないこともあるとか。
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さて、大満足でお弁当を片付けると、列車は深い山間に入っていました。夏日続きでまだまだ秋らしさが感じられない関東と違って、東北の山中は紅葉真っ盛りですね。
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仙人峠を有名なオメガループで超えると遠野盆地。列車は民話の里として名をはせる遠野駅に到着します。さすがにこの駅では客の多くが入れ替わりました。 ここから先の釜石線は、ワタシが高校生のころに乗ったことがあります。ゼンゼン記憶にないけどね。
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遠野駅を出てすぐ渡るのが、遠野物語では河童が棲む川として登場する猿ヶ石川。 太平洋岸は曇ったり雨が降ったりと落ち着かない空模様でしたけど、遠野盆地は気持ちよく晴れてます。
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宮守駅のホームには見事に紅葉した楓の木がありました。
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釜石駅から1時間半ほどで新花巻駅に到着。列車はそのまま東北本線に乗り入れて盛岡駅まで行くようですが、ワタシはこの駅で新幹線に乗り換えます。
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駅舎もなーんにもない1面1線の釜石線ホームから地下道を抜けると、目の前にはどこにでもありそうな新幹線の駅舎。この落差にクラっときますね。 昼下がりのやまびこ号はけっこう混雑していて、車内放送によればグリーン車も含めて指定席は満席なんだとか。確かに仙台駅からはワタシの隣も含めて席が埋まってましたね。 東北は紅葉シーズン真っ盛りだからかしら。
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