足利鎧年越

栃木県足利市で毎年節分の日に行われている「節分鎧年越」。今年は知り合いが鎧を着て「出陣」するというので,見に行ってきました。

 「節分鎧年越」とは,
約750年前の鎌倉時代中期、足利義兼の孫・泰氏(源姓足利氏4代目)が一族の結束と勢力を誇示する為、坂東武者500騎を鑁阿寺南大門に勢揃いさせたという故事にちなんだ古式ゆかしい行事です。
 明治維新以降一時途絶えましたが、大正4年に市内繊維業者を中心に復活し、以後足利を代表するお祭りとして受け継がれています。(足利市観光協会のHPより引用)

というわけで,なかなかに伝統のある行事なんですね。

 とはいえ,行われるのは一年で一番寒い節分。まして夜。防寒対策は必須です。コートの下にはホッカイロをペタペタ。両足にもペタペタ。さらには手袋の中にも貼らないタイプの足用カイロを忍ばせて,お腹の中には燃料(←お酒)を補給して準備完了。いざいざ,会場へと向かいます。

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この行事,簡単に言うと,武者装束などに身を包んだ方々が,足利市西部の織姫公民館からJR足利駅の北側を東西に走る足利のメインストリート県道桐生・岩舟線を通って,これまた著名な観光名所「鑁阿寺(ばんなじ)」まで1時間かけて練り歩くというもの。ただ歩くだけでしょ,と言ってしまえばそれまでですが,総勢300人近くの武者行列はそれなりに見応えがあるものです。

 昔は当然「本物」の鎧甲冑だったのでしょうが,今は時代劇などで使用する軽い衣装用のものだそうです。太刀は一応鞘と刀身が分かれてますが,脇差しは刀身も付いていない(つまり,鞘から抜けない。)ハリボテ。それでもそれなりの重さはあるらしく,出陣した同僚たちは終了後に「肩が痛い。」「首が疲れた。」「(草摺が当たって)骨盤が痛い。」などとボヤいてました。
 当然,こんな鎧は自分じゃ装着できないので,白い肌襦袢を着た後でプロに着させてもらうのだとか。鎧のレンタル料は1~3万円くらいするそうですが,こういった「手間賃」込みなら安いのかもね。

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オトナの行列に続いてやってきたのは,小学生の子供たち。何ともかわいらしい行列です♪
 参加者の話では出発前は大はしゃぎで走り回っていたそうですが(そりゃ,そーだよね。),本番ではまじめ顔で粛々と歩き去って行きました。

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続いて登場は,地元の中学生の方々。こちらはそれなりに落ち着きがあります。んでもって,沿道からは保護者と思しき方々によるフラッシュの嵐が。

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砲兵部隊(?)もやってきました。足利にも古式銃保存会のようなものがあるのかしら?

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地元の拠点病院の先生方。なかなか豪華な鎧に身を包んでいます。これに続いて,医療スタッフ(外国人もいましたよ。)の列もありました。

 かなりゆっくりと進む上にところどころで主要な出演者の紹介アナウンスなんかもあったりするので,知り合いが通りかかると記念撮影なんかもできます。ただ,辺りがとっても暗いので強力な外付けストロボやフォーカスライトが欲しいかも。ビデオ撮影の場合はビデオライトが必須ですね。(ワタシも動画撮影したのですが,暗すぎて何がなにやらさっぱりでした。)

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ラストは,鑁阿寺の本堂に集合して,鎧甲冑に身を包んだ足利市長が願文を朗読。続いて豆まきが行われて終了。出演者たちはこの後,本堂裏手の広場でたき火を囲みながら市長のかけ声で勝ち鬨を上げてお開き。その後「直会」で豚汁とお酒がふるまわれたそうです。

 ケンブツする分には面白いけど,出演は…寒そうだし…いいや。

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2 Responses to 足利鎧年越

  1. 川越藩火縄銃鉄砲隊右筆 says:

    はじめまして
    砲兵部隊とおっしゃっている『川越藩火縄銃鉄砲隊保存会』に属しているものです。
    2/3節分鎧年越に槍持ちとして参加しました。
    秋には足利市の隣、太田市金山山頂で火縄銃演武を行っておりますので、お時間あれば是非ご覧ください。

  2. Cygnus says:

    >川越藩火縄銃鉄砲隊右筆 様
    コメントありがとうございます。
    鉄砲隊がわざわざ川越から遠征されてきているとは知りませんでした。
    ホームページも拝見しましたが,ずいぶんあちこちで活動されていらっしゃるんですね。
    今後もますますのご活躍を期待しております。

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