JR乗りつぶし旅行~山田線・大船渡線・気仙沼線・石巻線・仙石線~(後編)

山田線 普通 盛岡(06:32)→宮古(21:33)
列車番号633D キハ110系気動車(110-131+138)

 翌朝。早朝にホテルをチェックアウトして盛岡駅へ。
 無料朝食は6時半からなので泣く泣く諦めて、コンビニでおにぎりをお買い上げ(笑)

 端っこのホームで待っていたのは山田線の普通列車宮古行き。
 この山田線、全線を運転する列車はたったの1日4本だけ。この始発を逃すと11時過ぎまで宮古行きはありません・・・

 2両編成で車掌も乗務しますが、乗客は1ケタでした。
 先日も災害で不通になってましたけど、なんとか直してもらえてよかったです。

 発車するとすぐに東へ向きを変えて北上川を渡ります。

 山間部へ入っていくと銀世界。列車は北上川の支流の米内川沿いに山奥へと分け入っていきます。

 上米内駅に到着。
 一応ここはまだ盛岡市内でして、通勤客向けにこの駅と盛岡とを行き来する区間便が数本設定されています。ここから先は1日4往復だけ・・・

 ここからは本格的な山岳区間。川沿いにうねうねと山へ分け入り盛岡市と宮古市を隔てる区界峠を3つの長大トンネルで超えます。

 トンネルを抜けると区界駅。標高744mと東北地方最高地点にある駅ですが、平均利用者は1日1人だけ。快速列車は停まらないので、1日に上りと下り合わせても5本しか停車しません・・・

 区界峠を超えた後は、宮古湾に注ぐ閉伊川沿いに下っていきます。

 盛岡ではどんよりな曇り空でしたが、峠を越えて宮古市に入ると少しずつ青空が見えてきました。

 川内駅に到着。
 鹿児島県の川内駅は新幹線も停まる大きな駅ですが、こちらは1日合計6本しか停まらない駅です。

 川の対岸には国道106号線が走っていて、ところどころ難所をショートカットする自動車専用道まで整備されてます。これじゃ列車は適わないですね。

 宮古が近づいてくるにつれて雪も減ってきました。

 陸中川井駅を過ぎたあたりで雪はほぼ無くなりました。
 列車は閉伊川沿いにのんびり走ります。

 廃線となってしまった岩泉線と接続していた茂市駅のお隣が、たぶん読める人はほとんどいないであろう蟇目(ひきめ)駅。「蟇」とはヒキガエルのことなんだとか。

 終点の宮古駅に到着。列車は折り返し快速の盛岡行きになります。

 駅の外へ。駅舎は三陸鉄道と一体になってます。
 駅舎の隅には駅そば屋が営業していました。知ってたらコンビニおにぎりは買わなかったのに・・・残念。

 待合室の片隅に貼ってあったポスターがこちら。盛岡と宮古との間はバスが圧倒的なシェアを占めていることが分かります。
 快速列車でもバスに負けるんじゃ当然ですかね。

 改札口の上にある発車案内。次の山田線は午後3時・・・

三陸鉄道リアス線
普通 宮古
(09:56)→盛(12:28)

列車番号2010D(釜石=盛間2012D) 36-700形気動車(36-701)

 次に乗るのは三陸鉄道36-700形気動車の盛行き。この36-701は東日本大震災の復興支援としてクウェートからの援助で導入されたもの。その感謝を記したプレートが乗務員室の窓下に貼ってあります。

 宮古駅を発車すると、山田線に沿って流れていた閉伊川の河口を渡って南へ向かいます。

 宮古駅から釜石駅までは、東日本大震災前まではJR山田線だった区間。そしてその路線名はこの陸中山田駅に由来します。
 三陸鉄道リアス線に譲渡されて「山田線」はこの山田町を通らなくなっちゃいましたが・・・

 本州最東端の陸中船越駅。

 浪板海岸のあたりはとても美しい光景が広がります。

 井上ひさしの小説の舞台と言われる吉里吉里駅付近。

 釜石の北隣にある両石湾。

 釜石駅に到着。ここまでは前回訪れたときに乗った区間です。前回はここからお向かいに停車中の釜石線快速はまゆりに乗り換えたのですが、今回はこのまま乗り通しちゃいます♪

 釜石駅より南は初めて乗る旧南リアス線の区間。
 釜石駅を出ると、釜石線沿いに流れる甲子川を渡ります。

 旧山田線の区間は別ですが、三陸鉄道リアス線(旧北リアス線&南リアス線)は新しい路線だけに線形が良い代わりにトンネルが非常に多いです。釜石駅を出ると、トンネルを出たり入ったり。そしてトンネルとトンネルの間に駅があるって感じです。
 吉浜駅付近でトンネルを出はずれたところから眺める海岸線は本当にきれいです。

 盛川にかかる橋を渡ると、終点の盛駅はもうすぐ。

 盛駅に到着しました。この駅は震災前までは三陸鉄道リアス線とJR大船渡線との接続駅でした。

 震災で壊滅的な打撃を受けた大船渡線の気仙沼駅~盛駅の末端区間は、線路跡を舗装しBRT(Bus Rapid Transit)に転換されています。
 線路跡をそのまま利用しているので、停留所も駅のホームそのものです。

 盛駅のJR駅舎内。BRTになっても駅の中は鉄道と同じような感じですね。

 駅の外に出てみます。
 ここは宮古駅と違って三陸鉄道とJRの駅舎が別々なんですね。

 三陸鉄道の駅舎の脇にはこんな石碑がありました。

 再び駅の中へ。左側が三陸鉄道、右側が元大船渡線だった線路跡ですね。線路跡の舗装された部分はBRTのバス以外は進入禁止となっており、一般車両が入ってくることはありません。

大船渡線BRT
快速 盛
(12:40)→気仙沼(13:57)

列車番号3338F

 いよいよバスがやってきました。
 バスは東京でも路線バスで普通に見かける日野・ブルーリボンハイブリッド。クッションが固くて長時間の乗車はお尻が痛くなりそうですし、トイレがないのも不便ですねぇ。鉄道代替とされているものの、長時間乗車はあまり想定されてないっぽいです。

 大船渡線BRTは、盛駅を発車すると小友駅の先までは鉄道跡地の専用道を走行します。
 踏切があったところには一般車両の侵入を防ぐためのバーが専用道側に設置されていて、踏切よろしくバスが通過するときだけバーが上がるようになっています。

 少し大きな道路と交差するところは信号が設けられていて、バスが接近すると優先的に通れるようになってるみたいです。とは言え信号が変わるまでのタイムラグが生じるので、ノーブレーキとはいかず若干速度を落としてから青信号を確認して通過してました。

 盛駅から細浦駅まではもともと鉄道が走っていた専用道を走ります。車窓からは鉄道だった頃と変わらぬ景色が眺められます。

 道路より高台を走る専用道。眺めはなかなかいいですね。

 もともと単線だった大船渡線。その跡地を利用したBRT専用道もバスがすれ違えるほどの幅はありません。なので、ところどころこのようなすれ違いのための交換設備が設けられています。

 小友駅に到着。ここで対向車とすれ違いました。
 この先で専用道は終わり、一般道(県道38号線)に入ります。

 バスは陸前高田の市街地へ。案内標識を見るとバス停ではなく「駅」なんですね。

 大きなバスターミナルに入っていきました。
 周りは一面の草原。大震災の津波を受けて、住宅地は高台に移転したからなんでしょうか。

 バスターミナルの片隅には、陸前高田「駅」の駅舎がありました。
 鉄道線だったころの大船渡線は陸前高田から内陸に向かい陸前矢作へ、そこから山中の県境をトンネルで超えて上鹿折から気仙沼へと向かっていたのですが、BRTは陸前高田から海沿いの国道45号線を南下して県境を跨ぎ、唐桑半島の根元を高速道路で通過して気仙沼へ向かいます。
 このルート変更により経由しなくなった陸前矢作へは陸前高田から別系統のBRTが設定されているほか、上鹿折へは気仙沼からの一般路線バス(鹿折金山線)がBRT扱い(運賃が鉄道運賃と同じ。)となってカバーされています。

 続いて向かったのは、海岸にある復興記念公園。震災前は一面の松林があったそうです。

 この復興記念公園に設けられているバス停の名は「奇跡の一本松」。その名のとおり、震災復興のモニュメントとなった一本松がバスの車窓からも見えました。

 バスは陸前高田の先の唐桑小原木ICから三陸道へ入り、気仙沼鹿折ICで再び一般道へ。鹿折唐桑駅から専用道へ入ります。
 一般道なら混雑しそうな市街地をトンネルを駆使した専用道でショートカットできるのはBRTならでは。

 終点の気仙沼駅に到着しました。
 震災前は盛駅からこの気仙沼駅を経由して一ノ関へ向かう大船渡線と、この駅を起点に志津川を経由して石巻の手前の前谷地駅へ向かう気仙沼線との接続駅でした。
 今はこの駅から一ノ関へ向かう大船渡線の鉄道線部分と盛駅からの大船渡線BRT、そしてここから前谷地駅へ向かう気仙沼線BRTとの接続駅となっています。

 駅前のロータリーにはタクシーがいっぱい。
 思ったより小ぢんまりした駅舎は、けっこう旅客で混み合ってました。土曜日の夕方、部活を終えた学生さんもけっこう混じってましたね。

 気仙沼駅は鉄道として残った大船渡線とBRTとの接続駅。BRT専用道の奥には大船渡線の臨時快速ポケモンWith YOUトレインが停車してました。

 駅の発車案内を見ると、3方向へ同時に発車するタイミングだったみたいです。道理で混雑しているわけだ。
 大半の方は一ノ関行きの列車の乗客だったみたいですけどね。

 こうして見ると、ホントに鉄道跡地をそのまま利用してるんだなってことがよく分かりますね。バス停っていうより駅のホームそのもの。

気仙沼線BRT
普通 気仙沼
(14:15)→柳津(16:03)

列車番号1944KF

 気仙沼線BRTのバスがやってきました。今度は日野のブルーリボンシティハイブリッドですね。
 乗客はワタシを含めて十数人。盛からのバスよりは混雑してました。
 気仙沼線BRTは気仙沼駅を出発すると陸前階上駅の先に新たに設けられた大谷まち駅の先まで専用道を走行し、そこから国道45号に合流。本吉駅の手前で再び専用道に入り志津川付近で再び一般道へ。志津川の先で再び専用道に戻り柳津駅まで専用道を走ります。
 もっとも、現在はこのBRTに自動運転を導入する試験中とのことで、赤岩港駅付近と志津川より先の区間は一般道を利用していました。

 南三陸町の志津川駅に到着。陸前高田同様に、だだっ広い草原にぽつんと真新しい「駅舎」が建っています。

 かつては豊かな志津川湾の海の幸に恵まれた街だったのですが、震災の津波で大きな被害を受けました。南三陸町の防災対策庁舎で津波の直撃を受ける直前まで避難の呼びかけを続け犠牲となった職員の話は有名ですが、南三陸町だけでも1,200人を超える死者・行方不明者が出ています。
 志津川駅を出るとすぐ近くの高台にある病院へと向かいます。住宅地は震災後に高台へ移転しましたが、病院があるのもその住宅地。道沿いにあった公園には小さな子供たちが大勢遊んでいて、震災の爪痕を見た後だけにホッとさせられました。

 志津川の新市街地を過ぎると、再び海岸線沿いの国道45号線へ。本来はすぐに線路跡の専用道へ入るのですが、今は自動運転のテスト中だそうで一般道を走ります。

 専用道となっている旧線路は道路より高台をトンネルでショートカットしているのですが、国道はぐるっと山を迂回しているのでかなり遠回り。交通量が少ないのが救いです。
 陸前戸倉駅では駅前のロータリーが臨時のバス停になっていました。

 定刻より数分遅れて終点の柳津駅に到着。
 駅舎らしき建物はあるのですが、なぜか入口は閉まっていては入れません。

 駅舎の脇にはBRTの停留所があります。ホントならこちらの専用道で来るはずだったんですね。

 気仙沼線はこの柳津駅から起点の前谷地駅まで鉄道線が残っているのですが、BRTも半数の便が引き続き国道経由で前谷地駅まで延長運転されています。BRTの場合は柳津駅から前谷地駅まで途中駅無しで運転されますが、所要時間は途中駅がある鉄道が22分なのに対しBRTは32分。やっぱり鉄道のほうが早いです。

 今では鉄道線としての気仙沼線終着駅となった柳津駅。
 人っ子一人おらず、なんとも寂しい感じです。

気仙沼線  普通  柳津(16:26)→前谷地(16:46)
列車番号932D 110系100番台気動車(キハ110-126)

 日が傾いてきて気温が下がり寒さに震えていると、ようやく折り返し前谷地行きとなるディーゼルカーがやってきました。

 乗車して車内の暖かさにほっと一息。
 ずーっとバスを乗り継いできた後だけに、鉄道車両の広さが心地よく感じます。
 いつでもトイレに行けるってのもゼイタクですねぇ~(笑)

 柳津駅を発車すると、列車はすぐに北上川を渡ります。
 だいぶ日が傾いてきて夕焼けが綺麗です。

 列車は旧北上川沿いに南へと向かいます。
 広大な仙台平野の東端部にあたるこのあたりは、旧北上川の豊富な水を利用した稲作地帯。沿線には一面の田んぼが広がっています。

 のの岳駅に到着。
 なんとも奇妙な駅名ですが、漢字で書くと「箟岳」。その名を冠する「箟岳山」は標高が236m足らずですが、このあたりが低湿地なのでそこそこ眺めはいいんだとか。

 旧北上川の支流江合川を渡るともうすぐ終点の前谷地に到着します。

 気仙沼線の起点であり石巻線と接続する前谷地駅に到着。ちょうど3方向からの列車が集まる時間帯だったようで、石巻から小牛田へ向かう列車(写真右側)が停車中でした。

石巻線  普通  前谷地(16:48)→女川(17:43)
列車番号1643D 110系200番台気動車(キハ110-239+241)

 やってきたのはキハ110系200番台の最終増備車両。
 もともとは山形新幹線の新庄延伸開業時に合わせて陸羽西線(愛称「奥の細道最上川ライン」)・陸羽東線(愛称「奥の細道湯けむりライン」)用に増備された車両なので、両線の愛称にちなんだ「奥の細道」のロゴが描かれています。

 予算が減ってきたのか、従来あったカーテンが省略されていますね。
 前谷地駅ではガラガラだったのですが、石巻駅が近づくに連れて乗客が増えてきて立ち客が出るほどの混雑になりました。さすが宮城県第2の都市。

 石巻駅で再びガラガラになった列車は、そのまま終点の女川駅に到着しました。
 日もとっぷりと暮れてます。

石巻線  普通  女川(17:52)→石巻(18:18)
列車番号1644D 110系200番台気動車(キハ110-239+241)

 石巻線の終着駅である女川駅も、震災で壊滅的な被害を受けました。
 震災後、150mほど内陸の嵩上げしたところに駅は移転し、駅の隣にあった女川温泉「ゆぽっぽ」を駅舎に取り込んでいます。
 時間があればひと風呂浴びたいところですが、そのまま折り返し列車に乗って石巻へと戻ります。

 石巻駅に戻ってきました。
 この駅も震災時には一時水没し運転再開まで2か月ほどかかりました。さらに水没の影響で信号設備が壊滅。運転再開後も信号設備復旧まで2か月ほどスタフ閉塞を行っていたそうです。

仙石線  普通  石巻(18:30)→仙台(19:51)
列車番号1822S 205系3100番台電車(M13編成)

 さて、石巻からは仙石線で仙台へと向かいます。
 仙石線は交流電化区間ばかりの東北地方で唯一の直流電化路線。もともと仙台近郊の通勤路線だった私鉄が戦時買収で国有化され、交流化されないまま現在に至っています。
 東北本線や仙山線などで使用されている最新の交流車両は使用できないことから、首都圏の通勤車両のお古が今なお現役で使用されてます。今回乗る205系3100番台M13編成も25年ほど前は山手線を走っていた車両ですし・・・
 ちなみに、そんな「お古だらけ」の仙石線ですが今年の年末あたりからようやく首都圏近郊路線用の最新型車両E131系に置き換えられる予定だそうです。

 石巻から松島辺りまでは海岸沿いを走っていて景色も良さそうな仙石線ですが、今は夜。車窓は真っ黒で何も見えません。加えて早朝からの長旅で疲れていたワタクシ。早々に寝落ちして気が付いたら塩釜あたりでした。
 仙台のベッドタウンの塩釜あたりからは乗客も一気に増えてきて、車内は首都圏の通勤電車にも引けを取らないほどの混雑ぶりです。

 終点の一つ手前の仙台駅で下車。仙石線の起点はお隣のあおば通駅なのですが、仙台からあおば通までは以前に乗車済みなのでこれで仙石線完乗達成です♪

東北新幹線 やまびこ66号
  仙台
(20:01)→???

列車番号66B E5系電車(U44編成)

 地下の深~いところにある仙石線ホームから長~いエスカレーターを上がって、ようやく新幹線ホームへ。ここから新幹線でお家に帰ります。
 それにしても、三陸沿岸ってやっぱり遠かったですねぇ・・・

カテゴリー: 乗り鉄, 旅行<東北・関東甲信越・東京離島> パーマリンク

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