追悼演説

 今朝の北関東は薄曇り。日中は晴れて気温も急上昇しました。
 まだ台風の影響は感じなくて、空気も爽やかな感じです。

 安倍元首相の逝去から2か月ばかり。
 彼はなかなか強いキャラクターだっただけに功罪いろいろあったと思うけど、そんな彼の死を悼んだり振り返ったりする以前に葬式のやり方をめぐっててんやわんやしてます。
 追悼といえば、今から62年前の昭和35年、彼と同じように暗殺された社会党(当時)の淺沼稻次郎書記長(当時)に対して当時の内閣総理大臣だった池田勇人が行った追悼演説が、空前絶後の名演説として有名です。

「ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。

 かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。

 私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
(中略)
 私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。

 ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。」

 この暗殺事件が発生した当時って池田内閣は少々ピンチだったそうでして暗殺事件による同情票により内閣が瓦解しかねない状況だったそうなのですが、この名演説により一気に形成を持ち直したんだとか。そんな政治的背景もある話ではあるんだけれども、それを加味しても格調高い演説ですよねぇ・・・社会党の議員までが涙を拭ったというのもわかります。

 ちなみに、この演説を行った池田総理って今の総理大臣である岸田文雄さんと同じ広島県が地元。もっとも忠海中学校(現:忠海高校)を卒業して京大に進学するまで広島育ちの池田さんと違って、現総理は東京生まれの東京育ちで広島には年1回帰省する程度だったみたいですけどね。

 こないだ、国葬について国会で自分の言葉で説明するって言ったからには大先輩の演説に匹敵するレベルが欲しかったなぁ~と思いつつ、そもそも「ご飯論法」を繰り返すなどして政治から言葉の力を駆逐したのは当の安倍元首相だったから仕方ないか、とため息をついてみたり。

カテゴリー: 日常, 雑感 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)