いじめっ子の言い訳

 今朝の北関東は久しぶりに朝から日差しが届きました。
 やっぱり、朝日を浴びると気分がいいですねー♪

 このところ、新聞もテレビのニュースもロシアによるウクライナ侵攻一色。
 一昔前の湾岸戦争とかどこぞの紛争とひと味違うなと思うのが、両者ともしきりにマスメディアやSNSなどを駆使して自分の主張をアピールしまくっていること。もともとウクライナのゼレンスキー大統領って芸人だったらしいから、この手のアピールはお手の物ってところなんですかね。

 そんなわけで双方の主張とも眉に唾を付けながら見ないと危なっかしくてしかたがないのですけど、ハッキリしているのは、先に暴力に訴えたのはロシアだということ。これだけで、どちらが「悪」かはハッキリしていると思います。

 ロシアと仲良しで北方領土の自らの名を冠した家まで建てた某政治家なぞはウクライナにも非があったなどと言っているようですけど、それって、「いじめられっ子はいじめられるだけの理由がある。」といういじめっ子(&その親)の言い訳と同じです。
 この点アメリカの市民感覚はハッキリしているようでして、最近アカデミー賞の授賞式で配偶者の容姿を揶揄されたことに憤慨して主演男優賞にノミネートしていた俳優が平手打ちをしたという事件がありましたけど、動機について斟酌する議論は盛り上がらず「何があっても暴力はダメ」という論調が圧倒的でした。

 何があっても暴力はダメ。

 ちょっと前に社会問題になった酔客による駅員への暴力もそうですけど、暴力に訴えたとたんにすべての言い訳には耳を貸してはいけないというのが国際的な常識。
 すべての議論は、ここからスタートするんじゃないかなと思います。

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