石原慎太郎さんも

 今朝の北関東も雲が多め。
 でも朝から気温は高めでマフラーも手袋も要りませんでした。

 先日、石原慎太郎さんが亡くなられたとのニュースが飛び込んできました。
 石原慎太郎さんと言えば、私が大学生の頃の都知事で「タカ派の政治家」といったイメージが強いです。尖閣諸島国有化のきっかけも彼だし、都立大学を「首都大学東京」なんて改名した(いつも間にか元に戻されたらしいですね。)のも彼。
 そして問題発言もしょっちゅうでした。芥川賞をとるくらいの作家なのになぜ?ってくらいに言葉を選ばず問題発言をするので「わざとじゃないか?」なんて疑いを感じたことも数知れず。
 でも、一方で、彼の国粋主義的な政治傾向にはまったく賛同しないワタシですら、どこか彼には惹きつけられるものは感じていました。
 昨今の政治家のような生臭さや汚さをまったく感じさせないところもそうだし、何より、彼が時折見せるはにかむような笑顔は好きでしたねー。

 今日、文芸春秋で彼の追悼特集として芥川賞受賞作である「太陽の季節」が掲載されるというので久しぶりに買っちゃいました。
 佐藤春夫の評にもあるとおり、内容は非道徳的だし「汚らしい」と言われても仕方ない内容なんだけど、一方で、どことなく彼の不器用さを感じさせるところがありましてね。そこがウケたのかなぁと。
 実際には、うっかり17歳の幼馴染に手を出してホテルに連れ込んだところを親戚に押さえられて「面倒くさくなって」(本人・談)結婚。その後ずっと添い遂げたというのだから、相当に純情で真面目なヒトだったのは間違いないなぁと。きっと、「太陽の季節」はそんな彼の反作用だったんじゃないかしら。マジメすぎる高校生が不良文化に憧れるといったような。
 今日買った文芸春秋に寄稿していた亀井静香さんや石原延啓さんも述べているように、政治家になるには不器用かつ「まっすぐ」過ぎたヒトだったように思います。彼が取引だの根回しだのなんて裏工作をしている姿なんて想像できませんもんね。いつだって正面突破で口にするのはホンネばかり。一方で、選挙やオカネを最優先にして権謀術数にばかり長けている政治家に食傷している国民・都民には、そこが受けたんじゃないかしら。
 今の日本じゃもう見られない面白いヒトがまた一人いなくなって、どことなく寂しさを感じます。

 夕方、ちょびっと早退して近所の神社へ行くと、日当たりのよい境内では梅が満開でした。

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